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「ざんねんな人生」からどうなるのかわかりませんが、ちょっと思ったことをつぶやきまする。 コメントは一度目を通させて下さい。そしたら公開しますかもです。


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人格解離と、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)

すみません、毎度長いです。



ASDの人と付き合ったり、一緒に住んだりすると、次第に「違和感」を覚えていくのではないかと思います。

私もそうでした。

アスペルガーの場合ですが、夫と出会ったのは、夫が30代半ばだったような(あやふや)気がしますが・・・。


その年齢に達するまでに、「人に怒られない、人に嫌われない人格及び仮面」というのを身に着けてしまっていたようです。

「好印象人格」とでも名付けておこうと思います。




私の前に現れた夫の「仮面・人格」は、「穏やかで、人畜無害、人付き合いがよくて、言いたいことを遠回しに言う」という感じでした。

一般的に初対面では嫌われないけれど、付き合いが長くなるには弊害が出てきそうな感じですが。

夫は、こうやって仮面をつけること・人格まで変化させることで「社会に適応」してきたという苦労がうかがえます。

生き残るためには仕方のないことかもしれません。


初対面以降も、仮面と人格を保とうと必死に努力するらしいです。

しかし、初対面後、数か月かからずに「なぜかとても苦しそうな雰囲気を醸し出す」とか、「急に突き放される」とか、「雰囲気が凍る」ということが起きたり、

「今日は会えない、電話もできない、風邪ひいた、無理」というように、ドタキャンやよくある言い訳(遅刻の言い訳程度)で約束をすっぽかされます。

こういう時には、もうすでに、夫は「好印象人格」を保つことに対するエネルギーが切れていたのだと思います。




夫の場合、たくさんの仮面を持っています。

子供の頃から知らずに作られた人格で、その場その場を対処するための人格です。


「子供」
(まさしく子供・お母さんが大好きで甘える3歳ぐらいの子供・見捨てられると怖いけれど、感情は直情的・経験値が低いのであらゆることに対して3歳の子供と同じ反応を示す。
人の関心を引く、甘えさせてもらう、自分は無原罪!という主張をしたいときに使用している。
個人的に付き合い始めて数年で定着しました。
私が受け入れたのが悪かったのでしょうが、その時は、アスペルガー特有のコミュケーションが大変だ!という夫の状態を把握していませんでした。)


「好印象人格」
(上記の通りです。初対面の時~しばらくの間利用します)


「会社人格」
(職種によりますが、仕事をしている会社においての人間関係が良好であるようにつけている仮面人格です)


「うつ人格」
(本物のうつではありません。うつうつとしていることで、相手に関心を持ってもらうために利用します。
「死にたい」が代表。
「俺はくるっているんだ」「俺なんて必要ないんだ」「過去のいじめの悲惨な状況を繰り返し語る」、急に泣き出したり、抑うつ状態と全く同じ状態を表す人格です。
夫にとって「関心を持ってもらうための人格」ですから、夫の気が済んだら、けろっと元気になります。
うつ病ではありません。作られたうつ人格です。
外では出さないようですよ。)



「偉い人人格」
(上から目線で、自信満々。
社会や政治に対して、ある人物に対して理論的な感じで大きな声で批判しますが、あまりどおりが通っていない。
しかし、外では使わない仮面・人格です。)


「善意の支援者人格」
(「~さんのためを思って」という偽善を疑わないような、「常識的な人」。
善意の人。
世間一般の価値観で生きている人。
ほかの価値観を受け入れず、自分の価値観だけを信じて、それに従わない人は排除する。
古い伝統に固執し、自分の頭で考えない。
独善的であっても、それが相手のためになると信じて疑わない幸せな人。
彼の周りにそういう人がいた可能性がありますが、定かではありません。
もしかしたらテレビなどの影響も大きいと思います。
私にとって一番苦手な人格。)



「穏やかな人格」
(ストレスのない状態で、表に出てくる人格です。
もともとの人格に対して、初めて作られたのではないかと思うほど、よくできています。
穏やかで、目も合わせられますし、静かに話ができます。
しかし、この人格も、もろくて崩れやすく、長時間は続きません。
ちょくちょく現れます。
もしかしたら、もともとのオットに一番近いものなのかもしれません。
むしろ、一貫してこの人格が出てくるようになれば、「自己」を見つけることができるかもしれないというほど、作られた感じがしません。
私はこの人格しか相手にしていません。)


ほかにも在るのかもしれませんが、私のほうがあまり興味を持っていないので、強く出ているのはこの程度です。



まさに「さいれんとかめれおん」です。



自分を「作った人格」に、全てまかせてしまうほど自分がないという状態は、苦しいだろうなあと思ってちょっと質問したことがあります。


夫に「閉ざされて、自由がなくて、苦しくて、孤独で、自分がkちがいで、まったく自信がなく、すべてにおいて劣っていて、みじめで、死にたくて、誰からも捨てられる理由がわからなくて、感情や感覚がなくて、演技して、仮面をかぶっていることにさえ気が付かないのでは?フワフワして現実感がなくなった感じの時があるでしょ。自分を持っていないよね?」と聞いたら・・・

「全部あってる」と言ってました。

ただし、「人格がそれほどコロコロ変わっているとは知らなかった」と。



人格が本格的に変わっていて、自分でもわかっていないので「あの時こう約束した」ということも、次の人格では「そんなことは言っていない!」(本人は本気)と怒ります。

こりゃしょうがないですね。

解離(かいり)していても、人格との連絡がうまくいっていて、記憶の途切れがない場合もありますが、夫の場合「無意識で、記憶も途切れている」という状態です。

もともとは完全なる自閉であったものが、「社会生活になじめ!」という圧力によって幼いころから、簡単に作り出してしまった人格であれば、私がどうこうできる問題ではありません。



「何とかごっこ」ができい代わりに「何とか人格」を作り出して、完全にその人格に任せてしまった幼少期の夫の生活は、精神的にかなりの圧力を感じる場所であった可能性が高いです。

暴力によっての解離もありますが、それもチャッカリ「うつ人格」として利用しているので、通常の解離性同一性障害とは違うようです。

自閉症スペクトラムのアスペルガー特有な感じがします。なんとなく。

う~ん、一緒に暮らしていても近すぎると見えないものってあると思うので、なんとなくです。



通常、人は、人格まで作り上げるほど、自己の放棄をしない生活をしています。

自己(私は私であって、ほかの誰でもないという感覚)の上に、会社での顔や、人に会ったときの顔、旅行中、家族の前の顔・・・と、多少仮面をかぶるものだと思います。

人生で、少なくとも160~200の仮面を使い分けるそうですが、その数が少ない多いではなくて、場面場面で、ちょっとした仮面を使い分けるのは自然だと思います。



夫のもともとの感情や感覚、人格は奥の深いところに眠っているか、もう消えてしまったのかもしれません。

しかし、「穏やかな人格」が基礎になっているとしたら、本当の感覚や感情は眠っているだけなのかもしれません。

「生きづらい」一言では言い表せるものではなく、「生き苦しい」と感じ続けているようです。



自閉症は早期にわかって「押し付けない・社会規範に当てはめる為の訓練を積ませない」で、「ありのままでいいんだよ」という安全・安心を確固たるものにしたら、自分を放棄するほどにまでにはならないかもしれません。

脳の器質的な問題だとしても、脳はものすごい能力を持っています。

「体感的に脳が安全を確保したとき」に、その能力を最大限に発揮します。

そういう「心身の安全・安心を感じてもらうための努力」を自閉症スペクトラムの人に確立してもらうための研究は必要だと思います。

「普通に生きるのは怖いことではない」という当たり前の感覚を持つには、やはり、自分のありのままを自分で受け入れることから始まるのではないかなと思います。



自閉症スペクトラムで、夫のように「次はじいさん」という年になると、人格が分かれたまま、ありのままは失ってしまっているのかもしれません。

生命反応があって、会社で働いていればいいという社会では、どうなんだろう。

私や世間の価値観を押し付けずに、夫が夫でいられるようにするには、私が私でもともとの自分を大切にするしかないような気もしています。




今、夫はバラバラになった自分の断片を私に指摘されて「どうしよう」ってなってますが、それは、私の問題ではありません。

「こうなって欲しい」は押し付けになる気がして違う気がするのです。

どうなりたいかは、夫がゆっくり時間をかけて決められればいいなあと思います。

まだ間に合うと思いたいです。



私が間違っていたことの一つですが、

カサンドラで悩んでいた時に、夫の問題を自分で抱え込んでしまっていました。

人を捨てるようで、冷たいようで、罪悪感もありましたが、突き放したら、ほっとしました。

「馴染んだ自分を放棄していたのだなあ」というホッと。でした。



アスペルガーの人に対しての怒りは、自分が全否定される感じがしますし、尊厳は根底から打ち砕かれますし、自分が生きていることを否定されますので、始終イライラしました。

今も、イライラしますが、「あ、これは私の問題ではない。オットを自分の思い通りに変えることはできないんだった。自分でさえ自分のままなのだから」って切り替えられるまでに時間がかかりました。

つらかったけど、自分を自分の手に戻した時の感覚は、「ホッとしました」以外には言い表せません。








by maosuzu | 2019-10-07 04:31 | ASDな夫との暮らし | Comments(0)
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